障害者差別という現実~私たちは懸命に生きている
その他の障害・病気障害のある方にとって「嫌だなぁ」って思うもの。その多くははっきりに言ってしまえば偏見です。偏見は健常者にはあまり実感が無いものかもしれませんが、私達、障害者にとって日常に潜む恐怖そのものです。本日お話するのはその偏見、つまりは障害者差別についてのお話です。
障害者差別という脅威
普段過ごしている日常の中で、皆様はこのような場面に出くわしたことはありませんか?電車などで「あ~君は障害者だから~」「障害者って本当に役に立たないな」と言っている人達。これは「差別」であり「攻撃」です。私も、暴言を言われたりすることもあります。こういった「差別」「攻撃」を受けた経験のある人は、実際のところ、かなりいます。その多くは職場で言われることが多いそうです。
一日の大半を過ごす職場で差別されるという事は、一日の大半が精神的暴力を受けている事に他なりません。そんな環境に精神障害の方がいたら、病状も悪化する事でしょう。中には障害者ということだけで仕事をやめさせられることもあるみたいです。
何故このようなことが起こるのか?それは知的だろうと、精神だろうと「障害者」ということで一括りにまとめられて、「障害者=社会の厄介者、役立たず」というレッテルを貼られているのが現状です。こう思われるのは非常に悲しい事です。何故なら障害を持っているだけで「厄介者」と思われることが、この現代日本で当たり前だと思っている人がいるのです。
障害に対してろくな知識もなく、人に酷いことを平然と言うのはいじめっ子と同じ・・・いえ、モラルを身に付けた大人として恥ずべき、子供未満の行為です。そんなことをしている人はすぐにやめて頂きたいです。考えることは構いませんが、言ったり行動したりするのは人として最低です。それが陰口でもモラルに反します。聞こえていないだろうと、人が言っているという事実には変わりありません。言われた人は傷つき悲しむのは、障害者であろうと健常者であろうと変わりはありません。障害者だって一生懸命生きているのです。自分自身の障害に負けないようにただひたすらに生きているのです。懸命に生きている人を侮辱するのは最低な行為です。
厄介者と見られている要因は何?
ですが中にはこんな人がいるのかも知れません「自分は障害を持っているから、周りに率先して迷惑をかけてやろう」という人です。障害のせいで仕方がなく迷惑をかけるのは構いません。ですが、できるだけ迷惑をかけないに越したことは無いです。
私の体験ですが昔、バスの運転手に対して何やら騒いでいる女性がいました。どうやらその女性、障害者割引が効かない事に対してバスの運転手と何やら揉めている様でした。私はバスの運転手がかわいそうに思いました。なぜならその女性が原因でバスが一向に出ないのです。女性は自分の都合ばかりを押し付けて迷惑をかけているという感じにはとらえていませんでした。
「自分の都合」ばかりを押し付けてしまうと、障害者が差別されるような風潮を助長させてしまいます。障害のせいで「仕方がなく」というようなこともわかりますが、度が過ぎれば人から見たら「贔屓」にも見えますし、健常者からみたら邪魔で手間がかかる存在になってしまいます。ですから互いの都合を理解することが大事なのです。理解し互いが助け合わねば、社会は成り立ちません。
認め合うこと
恐らく私がこのコラムを世に出しても、社会は全く変わらないでしょう。ですが、互いの心を認め合うこと、信じあうことが重要です。我々は不幸ではありません。障害を持っても懸命に生きているだけです。私は統合失調症を持っていますが、今は幸せです。
互いに障害に対するしっかりとした知識を持ち、出来るだけ互いを認め合い信じてみて下さい。あなたの隣にいる人は人間なのです。
参考文献
障がい者総合研究所 障がい者に対する差別・偏見に関する調査
http://www.gp-sri.jp
その他の障害・病気