LGBT以外のセクシャルマイノリティ~Qって何?

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LGBT。セクシャルマイノリティの表現として日本でも認知されてきました。しかし、実際はLGBT以外にも多様なセクシャリティを持つ人たちがいます。私もその1人です。私はつい最近まで「クエスチョニング」でした。ここでは、LGBT以外のセクシャリティ(クエスチョニングについて)と、私のセクシャリティに関して悩んできた経験を語っていきたいと思います。

クエスチョニングとは

クエスチョニングと聞いて何となく「?」という記号が関わってくることは想像できるかもしれません。最近ではLGBTに「Q+」などの表現を加えた言葉も認知されてきています。クエスチョニングはその中の「Q」にあたり、自分のセクシャリティについて心の性や性的指向(どんな人を好きになるか)が分からない、あるいはあえて定義しない人たちを指します。(Qにはクィアという意味も含まれますが、ここでは割愛します。)私はその中でも「自分のセクシャリティを表す言葉が分からない」クエスチョニングでした。ここからは、私の過去に経験したセクシャリティについての悩みについて語っていきたいと思います。

好きの気持ち~恋しかないの?

私はセクシャリティに関して10年以上にわたって疑問を抱いてきました。生物学的な性は女性です。心、性自認も女性です。ここまでは何の疑いも無く生きてきました。しかし、性的指向に関しては長らく「いない、もしくは分からない」でした。恋愛話が積極的に話題に上がり始める10代半ば辺りから、私は自分が何者なのかについて強く悩んできました。

高校生の頃、私はとある人を好きになりました。当時は学校生活で悩んでいて行きたくないし、生きたくないとすら思っていました。そんな中、私の話を否定せず、ただ聞いてくれる人がいました。その人(以後、Aさん)と話している時が、私にとって数少ない生きる希望になっていたくらいでした。自分の心を癒してくれた経験から、私も誰かを何らかの形で癒したいとその後の進学先の決定にもAさんは大きな影響を持っていました。

ある日、共通の友人のBさんからAさんへの気持ちについて聞かれることがありました。Bさんは当時付き合っている人がいて、恋を楽しんでいる人でした。私はAさんが大切な人であること、Aさんに幸せになってほしいことなどをBさんに伝えました。するとBさんはこう言いました。「それって、恋じゃない?」「ずっと一緒にいたいとか、ずっと手をつないでいたいとか思わない?」

当時の私はBさんの問いの答えに「うん」とは言えませんでした。私はAさんに幸せになってほしいだけで、Aさんとずっと一緒にいる存在(つまり恋人)になりたいわけではなかったからです。しかし、当時「好き」の気持ちを表す言葉を「恋愛感情」しか知らなかった私は苦しみました。この気持ちを表す言葉が分からない。恋、なのだろうか。でも違う。私は葛藤しました。この気持ちを恋愛感情に当てはめようとしましたが、どうしてもできなかったのです。恋ができない私は欠陥人間なんだと何度も自分を責めました。他の人に相談しても「それって恋だよね?」と恋を強要されると思い、相談もできず1人で悩んでいました。今では気持ちの整理がついて、あの時の気持ちは「推し」の幸せを願う存在の1人でありたいという、気持ちに近いものだったのではないかと考えています。

恋される側の苦悩と引き続く好き≠恋

高校の先の学校に進学した後も、恋愛感情という言葉は私を悩ませました。人生で初めて告白というものを同級生の男性(以後Cさん)からされたのです。しかし、私はCさんと好きな趣味のことについて自由に語り合える友達でいたいと思っていたので、交際は長続きしませんでした。そしてCさんの好きという恋愛感情に答えられなかったことに対して自分を責め続けました。その後も他の人に告白されることはありました。しかし、Cさんとの件で恋愛感情に対して恐怖すら感じ、「私を好きになった人はみんな不幸になる」と自己暗示のようなものが私にはかかっていたのです。そのため告白された相手や好意を寄せてくる人は徹底的に縁を切るという極端なこともしていました。

一方で人を好きになる経験もありました。男性、女性、その他の性と様々でした。ですがそれらのどの気持ちも「この人に幸せになってほしい」「相手は私でなくていいから」というもので、やはり「推し」の幸せを願うような気持ちと似ていました。ですが、周りの人が誰かに感じる「好き」という恋愛感情とは違っていたので、女子同士による恋愛話の場は苦痛でした。「○○さんはそういうの、ないの?」と聞かれてAさんの話を出すこともありました。ですが結局、「それって恋だったんじゃないの?」「まだ本当の恋を知らないだけだよ」「いつか良い人が現れるよ」とまくしたてられるばかりでした。どうして私は皆と違うんだろう。どうして私は誰かに恋愛感情を持てないんだろう。私はLGBTでもないなら何者なんだろう。そうして自分を責めていき、他の出来事と相まって私は体調を崩すこともありました。それほどまでに、恋愛感情とは私にとっては未知のものだったのです。

クエスチョニング~「分からない」でもいい。

そんな私が「クエスチョニング」という言葉に出会ったのはつい最近のことでした。あるSNSである人のセクシャルマイノリティのカミングアウトを見たのがきっかけです。その後セクシャルマイノリティについてインターネットで検索すると、それまで知っていたLGBTとアセクシャル(性的指向を持たない人たち)以外にもたくさんのセクシャリティを表現する言葉があることを知りました。その中にあったのがクエスチョニングだったのです。クエスチョニングの在り方を知って私はストンと何か腑に落ちたような感覚がしたのを覚えています。性的指向が「分からない」でもいいんだ。分からない人が他にもたくさんいたんだ。私、生きてていいんだ。そう安心できたのです。

現在はとあるセクシャリティを表す言葉と出会い、「これかな?」と思えるようになってきました。クエスチョニングの話とはそれるのでここでは割愛しますが、クエスチョニングという表現が私の心を大きく救ってくれたのは確かです。

まとめ

虹は国によって何色あるか認識が異なるのを知っていますか?日本では7色と言われていますが他の国では赤がなかったり白があったりと様々です。つまり何が言いたいかと言うと、セクシャリティも虹のグラデーションのように多様ということです。まだまだ認知度が低いLGBT以外のセクシャリティを自認する人も(もちろんLGBTの人も)、その多様性が認められる社会が広がることを願うばかりです。「まだ自分のセクシャリティがどんなものか分からない!」という人にも「分からないままでもいいんだ」という人にも「あなたのままでもいいんだよ」と感じられる環境が少しでも増えますように。

参考文献

【LGBTQ+のQって何?~実はよく知らないクエスチョニング・クィア~ 】
https://jobrainbow.jp/magazine

あずまあやめ

あずまあやめ

うつ病と広汎性発達障害と診断されました。今は自分で自分を認めて好きになる修行中。好きなことはミニチュアを集める・見る・時々作ること。

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