嫌われるのが怖いあなたへ~完璧主義の抜け出し方

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出典:Photo by Road Trip with Raj on Unsplash

昔の僕は完璧主義に苦しめられていました。皆から好かれたい、誰にも嫌われたくない、でも人付き合いは苦手だ。そんな矛盾を抱えながら人間関係で苦しんでいた思春期のころ。当時の僕の考え方やそれによって起きた失敗談を綴っていこうと思います。

優しいんじゃない、嫌われたくないだけだ

僕が小学校1年生のころの話です。小学校で最初に仲良くなった2人の友達は、グループのリーダー的なタイプでした。二人とも仲間意識の強い子たちでした。

2人それぞれの印象的なエピソードがあります。

1人の子は、よく新しい「遊び」を発明する子でした。その子は、仲間意識が強く、なにかと少人数で遊ぶことを好み、少しでも遊ぶのに遅れたら仲間外れにして、遊びに入れてくれません。その子の「遊び」にいかに早く仲間に入れてもらうかが、一緒に遊べるかの鍵だったのです。ある日僕はその「遊び」に出遅れて仲間に入れてもらえませんでした。「入れて」と言っても入れてくれず、僕は昼休みの間、ただただその子たちが楽しく遊んでいるのを眺めているだけでした。昼休みが終わり、手を洗っていると、その子ともう1人別の子が、僕の両隣を挟んで手を洗いながらこう話し始めたのです。「今日の遊び楽しかったなー、またやろうなー」と。僕はその会話に挟まれてとても悔しかったです。それからは、いかにその子のそばについて新しい「遊び」に加えてもらえるか、それだけを考えるようになりました。

もう一人の子のエピソードは、僕がサッカークラブに入っていた時の出来事です。

その子は当時のサッカークラブのガキ大将的な存在でした。サッカーの試合で僕がたまたまその子のドリブルをことごとくカットしたので、その子が僕に逆ギレして、コーチに怒られた時のことです。試合が終わるやいなや、僕に駆け寄り、「おい、俺、もうお前と遊ばないからな」そう言われました。その子はガキ大将でリーダー的な存在なので、その子に嫌われることはサッカークラブで孤立することを意味します。もちろんクラブでの遊びに誘われなくなり、許してもらえるまで学校でも遊んでもらえなくなりました。

そんな経験から僕はこう考るようになりました。「なるべく人の機嫌をとって嫌われないようにしよう」と。しかしその行為がみんなに勘違いされ、「あの子はとても優しい子だ」と言われるようになりました。僕は「ただ嫌われたくない」「仲間外れにされたくない」からそうしているだけなのに。

初めて人に嫌われて

それから、僕は「優しい」と言われる人になりました。ただ、「嫌われないように」「仲間外れにされないように」気を遣っているだけで。そんな僕でも中学の時に、気を遣わずに接することが出来る友達が出来た事がありましたが、その友達にも「なんか最初の頃と変わったよな」と言われてしまいました。そんな繰り返のせいで、僕の中に「気を遣う=嫌われない」という認識ができました。

なので、高校時代には、いじめられたことがありません。仲間外れにされたことも。なぜなら嫌われないよう、周りに常に気を遣っていたのですから。当然、嫌われることもありませんでしたが、「ただ優しい人」という認識で、特別に好かれることはありませんでした。

時は流れ高校を卒業した頃、僕はスーパーでアルバイトを始めました。6人ぐらいのバイト仲間がいたのを覚えています。僕はいつものように全員に気を遣って、嫌われないようにしていました。なので、僕を除く5人だけが、だんだんと意気投合していきました。5人で仲良く話していたり、食事にいったりと。僕は不思議に思いました。「これって無意識的な仲間外れになっているんじゃないか?」と。さらに、その5人のうちの1人と商品に対する意見で軽くすれ違ったとき、その子が本気で僕にキレてきたのです。彼の態度は、これからバイトを続けていく上で僕との関係はもうどうなってもいいとさえ思える、そんな態度でした。要するに僕はその子に嫌われていたわけです。

僕はパニックになりました。「今まで嫌われないように、仲間外れにされないようにと、それだけを考えて生きてきたのに。それでも嫌われ、仲間外れにされてしまう。じゃあ一体どう人と接していけばいいんだ!」

僕の中で作り上げてきた「気を遣う=嫌われない」の認識はいともたやすく崩れ落ちました。

完璧なんて存在しない

崩れ落ちてしまった認識が僕をずっと悩ませます。「どれだけ努力しようが誰にも嫌われない、みんなに好かれる、そんな完璧な人間なんて無理なんだ。僕は一体どうしたら……」

そんな中、とある友達と話す機会がありました。彼にその悩みを打ち明けたところ、こう言われました。「何事にも正負の関係は必ずある。完璧主義はそれを受け入れていない」

「正負の関係」とは、人間関係でいうと、「自分の性格が誰かにとって好かれる性格なら、その性格を嫌う人もいる。それがバランスなんだ」というわけです。

もちろん、「優しい」という性格は比較的他人に好かれやすい性格でしょう。しかし、それが万人に好かれるかというと、そんなことはなく、むしろその他人に好かれる性格をやっかむ人もいるでしょう。それがバランスであって、覆らない道理なのです。その道理を完璧主義の人は、無理やり覆そうとして、できずにもがいている。それは酷く無駄なことではないでしょうか。

彼の言葉を聞いて、僕は今まで抱えていたものがスッと楽になりました。

あなたを好いてくれる人を大切に

人間関係において「完璧主義」に縛られると誰にも嫌われたくない、「皆から」好かれたいと思ってしまい、そのこと「だけ」を考えて誰にも本当の自分を出せなくなってしまいます。皆に好かれる人、それはとてもいいことですが、それをやっかむ人は必ずいます。逆に人からあまり好かれない人もいますが、そんなあなたを好いてくれる人が必ずいてくれるのも世の中のバランスであり、道理なのです。

嫌われたくないという気持ちは、もちろん人として普通の感情でしょう。ですが、その気持ちが強すぎるあまり、誰にも本当の自分を出せず人の輪に入れなくなる。好いてくれる人にも本当の自分をだせない。それはもったいないことです。本当の自分を出して嫌われるのが怖いという気持ちも、もちろんあるでしょう。ですが、本当にあなたのことを想ってくれる人なら、あなたの「本当」を快く受け入れてくれることでしょう。

好いてくれない人にどうすれば気に入られるかを悩むより、今あなたを好いてくれる人を大切にしてあげてください。その人数が多かろうが少なかろうが、あなたを好いて大切に想ってくれる人がいる。それはあなたにとって、大きな支えになるでしょう。

ヤドかに

ヤドかに

カメラと造園とドラムが趣味の22歳です。
最近ギターも始めました。

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