レコード万引き発言という、現代日本の「アマラとカマラ」

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Photo by Mick Haupt on Unsplash

「欲しいレコードの万引きもしたことがない連中は、信用に値しない」と発言して物議を醸した人がいます。発端は、SNSに書き込まれた「配信サイトとかが無かった時代は、欲しい曲をどうしていたのか意見をください」という質問です。これに「友達でもない奴までパシらせた。それでも足りなければ万引きした」と答えた挙句、冒頭の発言に繋がります。

「常習的に親の財布から金を抜き取っていた者は、誰もが少年期にそうした経験があると思い込む」という話があります。これもあって私は、こうした発言周りのことを現代日本版の「アマラとカマラ」だと位置付けています。

「アマラとカマラ」とは、いわゆる「狼少女」「狼に育てられた姉妹」の逸話です。今では疑似科学にまで落ちぶれていますが、「人は人の下で育ってはじめて人たりえる」「人の成長を決定づけるのは周囲の環境である」という強烈なメッセージとして、一定以上の世代には記憶されています。なお、話自体は夜に目が光るなど生物学的にあり得ない描写などから、盛りに盛られた創作(今でいう“嘘松”)だろうとされています。

しかし、生まれ育った環境が人間性を大きく左右するという趣旨で「アマラとカマラ」が語られることはあります。生物学的にあり得なくても、狼に育てられれば狼のように育つというメッセージには大きなインパクトがあるためです。現実性や妥当性に欠けていても、インパクトとキャッチーさによって聞き手の心は十分に動かせるという訳ですね。

先に述べた「レコードの万引きは当たり前」「親の財布からくすねるのは当たり前」という価値観もまた、言葉を選べば浮世離れした少年期の中で確立されたものと思われます。どの時点で何を原因として歪んだのかは知る由もありませんが、他の人も皆やっていると思い込むのは常識からズレていますよね。

育った環境がどうであれ、過去をどう扱うかはその人自身の裁量であり、昔のワルを自慢したところで顰蹙を買うのは自分だけです。責められた時に「俺の時代は」「俺の地元では」と言い訳を重ねるのは、過去を言い訳に他人を巻き込んで好き放題する“弱い人間”のすることです。レコード万引きの件でも「大阪市内のアカンやつは皆そうだった」と大阪市内の同年代を巻き込もうとしていましたね。「コイツと同年代で、市内でもかなり偏差値の低い高校の出身だが、そんな習慣は聞いたことも無かった」と一蹴されていましたが。

昭和の常識だったものが令和の今通じなければ、それに合わせるのが皆さまの大好きな「価値観のアップデート」です。昭和に育てば昭和の人間として、平成に育てば平成の人間として育ちますが、令和やその先の価値観へ合わせる必要性が途絶えることはありません。なにより「アマラとカマラ」でも、狼の暮らしから人間の暮らしへ合わせようと頑張っていました。

遥けき博愛の郷

遥けき博愛の郷

大学4年の時に就活うつとなり、紆余曲折を経て自閉症スペクトラムと診断される。書く話題のきっかけは大体Twitterというぐらいのツイ廃。最近の悩みはデレステのLv26譜面から詰まっていること。

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