「チー牛」は、就労移行支援を見渡した棚上げ利用者から始まった。~忘れ去られた発端と、長年のロンダリングを振り返る
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以前、「子供部屋おじさん」が侮辱であるとして開示を認められたと自身のXアカウントで報せた人がいました。その人が今度は、「チー牛」でも開示請求が通ったと報告し、またも話題をさらっています。反響は「こどおじ」をゆうに上回り、8600以上のリポストと46000以上のいいねを獲得していることから、よほど多くの人々から関心を持たれていたのでしょう。
反響は真っ二つに、長年の仇敵が斃れたかの如く歓喜する肯定的な意見と、手軽な武器を取り上げられて怒り喚き暴れる否定的な声へと分かれました。特に後者の虚勢や狼狽えぶりは、見るに堪えない醜悪な羅列として表れており、なるほど普段から誹謗中傷をライフワークとして「チー牛」を長年愛顧してきた“そういう生き方の”者らだと窺わせます。
開示請求を報告したXアカウントは、飽くまで「チー牛」単体ではなく全体の文脈などを考慮のうえ判断されたことを注記しつつ、「個人的に興味あったし、『こどおじ』『チー牛』の権利侵害性が認められて満足した。今度は『弱者男性』でもトライしたい」と結んでいます。今後も期待できますね。
この機会なので、「チー牛」が流行った経緯と、就労移行支援との断ち切れぬ関係、そしてどういった輩が愛用してきたかなどを一気に振り返ってみたいと思います。「チー牛」について取り上げた過去記事(2020年7月14日)も併せてご覧ください。ミームと呼ぶのは他のミームに失礼、スラングと呼ぶのは他のスラングに失礼、そんな“モノ”の歴史と真実を紐解いてみましょう。
就労移行支援を見渡して生まれた造語
まず覚えてもらいたいのは、「チー牛」「チーズ牛丼顔」は、就労移行支援の利用者が他の男性利用者らを揶揄したのが始まりだということです。(自分を棚に上げた)就労移行支援と発達障害への感想が、“これ”の生みの親です。ゆえに、「チー牛」と就労移行支援、「チー牛」と発達障害は切っても切れない関係にあります。これは「チー牛すなわち就労移行に通うような発達障害者」と言いたいのではありません。障害者を差別し侮辱する為に生まれた侮蔑語であり、その背景を消すことは出来ないという意味です。
2018年7月19日夕方、5ちゃんねるの「なんでも実況(ジュピター)」にて最初の書き込みがなされました。その趣旨は以下の通りです。
「面白い事に就労移行支援を利用する若い男は揃いも揃って同じ顔つき。ザ・陰キャって顔、黒髪に眼鏡、子どもじみた髪型に覇気のない顔、大人のくせに中学生のよう、10人いれば8人がそんな顔。人間性は顔に滲み出る。発達障害は見た目では分からないというのも、差別だ何だとやかましいだけで、顔に出るという真実から目を背けているだけだ」
書き込み主、もとい“チー牛の父”はこれに「すいません。三色チーズ牛丼の特盛りに温玉付きをお願いします」の画像を添えました。この画像は“チー牛の父”と全く関係のない作者が、2008年ごろに描いた自画像と言われています。書き込みの内容と画像の冴えない顔つきによる相乗効果は凄まじく、「チーズ牛丼頼んでそうな顔」「チーズ牛丼顔」「チー牛」と縮まっていきました。(重要なことですが、書き込み主と自画像の作者は“別人”です)
とはいえ、2019年じゅうは内輪での自虐が大半で、発達障害の当事者にさえ使われていました。比較的平和な期間だったと思います。ただ、画像自体を面白がる動きが出始めたのと、すき家(ゼンショーホールディングス)の商品である「とろ~り3種のチーズ牛丼」に絡められたのもこの年で、風向きは確実に変わっていました。
自虐ネタが自虐ネタでいられる期間は短いです。「片親パン」も片親の人間による自虐ネタだったのが、いつの間にか片親世帯を叩く侮蔑語へと変貌し、他人に向ける武器としての余生を送らされています。「この属性は弄っても許される」「この属性は叩いてもいい」と山の野生動物のごとく嗅ぎ付けてきた有象無象が“使い”始めるのが原因です。まさに同じ流れを「チー牛」も例外なく辿っていました。
片親パンついでに余談なのですが、食べ物が蔑称にされている時よく出てくるのが「美味しいのに」みたいな味の話題です。擁護か何かのつもりでしょうが、なぜ全く関係のない「味」を持ち出すのでしょうか。食べ物で遊ぶなというメッセージかもしれませんが、それが美味かろうと不味かろうと“どうでもいい”のが実情です。不味かったらそれはそれで馬鹿にされる要素が増えるのかも知れませんが。閑話休題。
たかがバーナム効果、されどバーナム効果
2020年に差し掛かると、「チー牛」を他人に向ける者らが優勢になり始めました。武器としての有用性が認知され始めたのです。同年の中ごろにはJ-CASTニュースの日和った記事とアサ芸ビズの踏み込んだ記事が発表され、私もその時点までの経緯を一度はまとめました。この頃には既に画像の方が一人歩きを始めており、就労移行支援との関係は無視されつつありました。
「チー牛」を押し上げたのは、「バーナム効果」によるものだと考えています。バーナム効果とは、誰にでも当てはまる曖昧で一般的な性質を自分固有のものと勘違いするバイアスのことで、その最大手が「血液型性格診断」でした。「チー牛」と言われる顔の特徴も、ある意味誰にでも当てはまる部分が多く、それゆえに“無差別発砲”でも一定の効果を示します。バーナム効果の成功例としては血液型性格診断を凌駕する「チー牛」が、武器として使われない筈がありません。
“誰にでも部分的に当てはまる”のが売りのバーナム効果ではありますが、同じ就労移行支援の利用者及び経験者でも、人生経験や審美眼などによって反応に差はありました。「確かに、皆一様にこんな顔立ちだった」と迎合する者もいれば、「自分の時はもっと色んな顔の人がいたというか、イラストの顔に当てはまる人は居なかった」と思慮深い見解を示す人もいたのです。尤も、違いの分からぬ前者が多数派だったようですが。
認められていく「チー牛」
さて同年8月、一連の報道から少し経過した頃に他人へ「チーズ牛丼食ってそう」と発言して炎上する出来事がありました。今にして思えば、あの時は「チー牛」が失言と見做される程度には良識が残っていましたね。精力的なロンダリングをされた今ではあり得ないことです。
精力的なロンダリングとは言いましたが、誰かが先導して「チー牛」を漂白化し使いやすくしようとした訳ではないのでしょう。「無能や愚かさで説明がつくことに、悪意や陰謀を見出すな」と誰かの格言でありましたが、逆に考えれば、陰謀でないのだとしたら単に大衆が馬鹿だったことになります。年を経るにつれて、煽りと分断を何より好む“愚かな大衆”が武器として愛でていき、暗い背景は隠されていきました。就労移行支援と利用者への侮蔑から生まれたことも知らない者が、愚かでなければ何だというのでしょう。
一方で「チーズ牛丼」そのもののイメージを回復しようと模索する動きもありました。家庭で安く作れるチーズ牛丼のレシピを伝授したり、eスポーツのチーム名に採用したりと、2020年時点では多少建設的なアイデアが出されていましたが、大抵は味の話を持ち出したりゼンショーの影に隠れたりする程度で、言うまでもなく無関係で無意味な足掻きに終わっています。
画像の作者も、いつしかこの事態を「役得だった」などと受け容れています。何かの企画で「チーズ牛丼画像の作者」として紹介されたのを見た時には、私は甚だしい失望感を覚えたものです。わざわざ肩書にするのを許すのは、そういう意味ですからね。
「チー牛」を得たネット言論は年を追うごとに著しい劣化の一途を辿っていました。「チーチーしてんな」「チギュ!チギュアアアアア!」と派生形も作られ、悪意なく発する無知も現れました。(チーチー言っているのは自分たちの方だというのに)
この傾向はミサンドリスト(男性嫌悪者)の参入によって加速します。専ら男性にしか使われない侮蔑語で、それがロンダリング済みだというのですから、ミサンドリストにとって「チー牛」ほど完璧な武器はありません。なんなら「気に入らない男=チー牛」程度に捉えて気楽に喚いていたくらいです。
就労移行支援に由来する差別用語だと説いた人間が「そんな事実ないわよ!」と一蹴されるやり取りさえ目撃しました。真実を知る一人として、自覚なき歴史修正主義によって差別用語が野放しにされている状態には忸怩たる思いがありました。
侮蔑語が咎められた歓喜、おもちゃを取り上げられた怨嗟
5,6年に及ぶロンダリングと声の大きなミサンドリストの参入により「チー牛」は最もカジュアルな差別用語として君臨しました。5年前に私は「こんなもの、遠からぬうちに廃れるだろう」と楽観視していましたが、ネット言論の良識を過大評価していたようです。
しかし、これに思う所のあった人が大勢いたのでしょう、或いは便利な武器として気軽に殴って刺して撃ってばかりいた者が多かったのでしょう。冒頭の開示請求に対する反響は凄まじいものとなります。引用ではなく脚色や要約などを交えていますが、反応をまとめました。
肯定的な喜びの声
「反対意見が揃いも揃って『チー牛くらい言わせろ!』に帰結するのが面白い。言えなくなって困ることでもあるのか?」
「どう考えても悪口だったからね。後で侮辱の意図はなかったなんて言い訳は通らない」
「当たり前。寧ろ司法に咎められなければ何を言ってもいいと思っていたのか?」
「自分も『ガイジ』で認めさせたことがある」
「この勢いで他人を傷つけるスラングを無くしていこう」
「これで自分が否定されたと思い込むミサンドリストの多いこと多いこと」
「いずれこうなるとは思っていた」
「カウンターのつもりで『豚丼』言ってる奴も止めた方がいいぞ」
「自虐だったのを他者攻撃に持ち出す馬鹿のせいでこうなった。反省すべし」
「たとえ文脈全体からの判断だとしても、これは面白い牽制になる」
「チー牛以外の悪口を知らないレベルの人々が今後どうなるか楽しみ」
「絵文字などで誤魔化せばいいと思ってる人も多いから、そういうのも痛い目を見るといい」
「ゴリッゴリの偏見と侮蔑なのに、『この隠語なら怒られない』って子どもじみた発想の大人が多すぎる。侮蔑語に仕立て上げたのは、ある意味そいつらなのに」
否定的な怨嗟の声
「泰然と無視していればいいものを、開示請求でわざわざ道徳的庇護を求めるなんて女々しすぎる。しかも次は『弱者男性』でチャレンジするなんて冗談じゃない。被害者面で攻撃しているのはお前の方だ」
「チー牛で認められるなら○○も認められないとおかしい」
「図星突かれたチー牛が逆ギレで開示請求とかダサすぎる。心が弱い証拠」
「男の作った言葉で男がキレて男同士で争うのウケる」
「そうやって男の意見ばかり通す。さすがは男尊女卑のヘルジャパン」
「何の権利を侵害してるの?」
「やがて『おはよう』でも開示請求されそう」
「開示はスタートラインに過ぎず、まだ違法性が認められたわけではない」
「証拠ないくせに嘘つくな。どうせチー牛の戯言だ」
「チー牛は努力不足の表れ。見た目は幾らでも変えられるんだから、開示請求する金で身なりを整えろよ。この暇人が」
「他に何て言えばいいんだ…。チーの者とかインセルとか?」
「これは言論統制だ。表現の自由が脅かされた」
「もはや開示制度自体なくしていくべき」
「ゼンショーや自画像の人が可哀想。ゼンショー様、営業妨害で訴えてやってください!」
「法治主義への冒涜。こりゃ訴訟ビジネスが始まるな」
「裁判官もチー牛のミソジニストなんだろうな。これを侮辱と認める奴は罷免すべき」
「チー牛は犯罪率が高く他人に危害を加える人種。ネットでは女叩き、リアルでも不快感を撒き散らす攻撃的な男たち。彼らこそ女性の敵として糾弾していくべき」
否定派の中には、「女性への攻撃」「司法の男割」といった声もありました。暴言の咎を受けるや否や女性全体への攻撃と解釈する様子からして、よほど多くのミサンドリストが「チー牛」を振りかざしていたのかが垣間見えます。取り上げられた時のダメージからして、よほど便利な武器として愛用していたのでしょうね。
また、面白い事に文脈全体で判断されることを喜ぶ否定派も居ました。なんでも「『チー牛』だけで訴訟できなくてぬか喜びザマァ」とのことですが、誹謗中傷が癖として染みついた者にとって、単語より文脈全体で判断される方が却って不利であることに想像が至らないのでしょうか。侮蔑語は「チー牛」に限らない以上、別の何かでトラブルを起こしそうなものですが。
まとめ
就労移行支援の利用者が、自分を棚に上げて他の利用者を揶揄した書き込みから生まれた「チー牛」。発達障害者への偏見と差別感情から出発したにも関わらず、“武器”として愛用されていくにつれてその背景は隠され、ロンダリングされていきました。
しかし、開示請求が通ったことで、やはり「チー牛」は侮蔑語だったという事実が再確認されます。由来を知らず気軽に武器として振り回す者さえ増えた中で、この再確認は非常に大きなインパクトを残しました。「チー牛」が使えなくなっても、「指殺人者予備軍」たちは新たな武器をそのうち探り当てるのでしょうが、大事なのは何を言うかよりも、ネット上での自身のスタンスを考え直すことだと思います。