発達障害のASDとADHDを併発しています!

発達障害のある私を育ててくれた母のこと〜発達障害のASDとADHDを併発しています!<vol.23>

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出典:https://girlydrop.com/flower/9941
発達障害のASDとADHDを併発しています!vol.23 <毎月1日連載>

ASDとADHDのある私を育ててくれた母のことを、お話ししたいと思います。春の訪れとともに、母の命日がやってきます。私はまだ18歳でした。満開の桜が散り始める頃に、母は病気でこの世を去りました。母のことが世界でいちばん大好きだった私は、お葬式が現実とは思えず、まるで夢か映画でも見ているような気分でした。

遺伝とも言われる発達障害ですが、私と母はまったく似ていません。それどころか、正反対だと良く言われていました。なので、私を育てるのに悩むことも多く、本当に大変だったと思います。

母はひまわりのように明るく、太陽のように周囲を照らす存在でした。いつも笑顔で、弾むような声で話すので、周りには人が絶えませんでした。背が高く、ハイヒールを履き、明るい色の華やかな服を好んで着ていました。綺麗なお姫様のようなインテリアが好きで、おしゃれをして買い物や食事に出かけることが大好きでした。優しくて、おもしろくて社交的で人気者。仕事も家事もテキパキこなす、リーダータイプ。それが私の母でした。

母の実家は地主で自営業のお嬢様育ち。梅田の阪急百貨店に就職して、とても楽しそうに働く母は、売り上げ成績も良く、お客さんの中にはファンもおられたと聞いています。新聞記者をしていた父が取材に行った時に、母が対応したというのが両親の出会いです。その時の話を父から聞くのは今でも楽しいです。母の想い出を聞いたり語ったりするのは私にとっての癒しです。

母は、私の弟を出産した時の出血がひどく、貧血になり、解消するために鉄分をよくとっていました。また、視力が2.0もあり、見えすぎてしんどいとも言っていました。心配性で、私たち家族が病気にならないようにと、食事はほぼ全て手作りで、お菓子やパンまで作ってくれることもあり、嬉しかったです。料理はとても上手でした。亡くなる前には私のためにレシピを手書きでいくつか残してくれていて、今でも大切に持っています。

心配性なところがあり、魚の骨はすべて母がとってくれました。飴を喉に詰まらせないように、車で酔わないように、風邪をひかないように、などいつも色々心配して先回りして工夫をしてくれました。何をするにも失敗しないように、危険な目に遭わないように、ずっと心配している様子でした。不器用な私がつらい目に遭わないように、心配だったのだと思います。

私はADHDの特性から、朝早く起きるのが苦手で遅刻をよくしていたし、ご飯を食べるのも出かける準備をするのも、とにかく何をするにも人より遅いので、母には朝から晩まで毎日、早くしなさいと注意をされていました。

母には友人が多く、家族旅行でも友人や親戚の家族を誘うので、いつも大人数での旅行になりました。私は、あまり人付き合いが得意ではないので、本当は自分の家族だけでも良かったのですが、母が楽しそうだったので、そのことを伝えることはなかったです。

歌うことが大好きで、お店で歌う仕事もしていましたし、ママさんコーラスをしていた時にはテレビやラジオにも出演し、代表で話すのはいつも母でした。亡くなった後も、録音した母の声を聞くことができたので良かったです。

私の習い事にも熱心でした。ミュージカルやバイオリンのレッスンに付いてきてくれた母が喜ぶ姿を見るのは嬉しかったです。舞台や発表会で着る衣装や、ご褒美のお菓子を一緒に買いに行くことも幸せでした。編み物にハマった時には、家族にたくさんのセーターを編んでくれたので、中でもお気に入りだった赤いセーターを私はよく着ていました。

家族でいることも楽しかったのですが、私は母を独り占めできた時がいちばん嬉しかったです。いつも家族や親戚や近所の人たちやお友達に囲まれて取り合いになる母と、2人でスーパーに行ったりテレビを観て笑ったり、買い物や食事に行ったりする時が本当に幸せでした。母は、雷が落ちたところを見てから雷恐怖症になったのですが、ある時スーパーで買い物をして帰ろうとした時に、雷が鳴って帰れなくなり、鳴り止むまでベンチで一緒に待っていたことがありました。私は怖くないので買ってもらった漫画を読みながら、しばらく二人きりでいられることがすごく嬉しかったのを覚えています。

中学生の時に、友達と遊んでいて私のADHD特性が原因で友達とはぐれてしまったので、母に電話をしたらすぐに迎えに来てくれたときも、友達には悪いですが、母と一緒にいられることがとても幸せでした。母を待っている時間もワクワクしました。

それから、飼っていた犬に5匹の子どもが生まれた時、4匹は近所に貰い手を見つけたのですが、1匹だけ遠くの知らない方に貰われることになり、母と二人で渡しに行く途中で私が泣いていると、母が「あげるのやめてもう帰ろう」と言ってくれたこともありました。相手の方に謝って、近所で飼ってくれる方を探すために電話をかけまくってくれた姿をよく覚えています。貰い手が見つかって、その方がいつでも遊びにおいでねといってくださりとてもうれしかったです。母が亡くなった後、その方が当時の様子を懐かしく話してくださいました。

母が亡くなる二週間前の最後の入院の前日に、母と二人で寝ることになりました。私の寝相がよくないので、母が布団を掛け直してくれたことに気づきました。どんなにしんどくても、母親の子どもを思う気持ちはすごいなとこの時思いました。

救急車に乗る前にも、パジャマからゆっくり服に着替える母を見て、身だしなみに気をつかうのすごいな、私ならめんどくさくて人の目なんてどうでもいいからそのままパジャマで入院するだろうなと思いました。入院中も、お見舞いに来られる方にはいつも笑顔で対応していました。痛みもあってしんどいだろうに無理しているなと、私はいつも思っていました。

自分と正反対で人付き合いが下手、苦手なことが多く不器用で手のかかる私を育てることは、母にとってとても大変なことだったと思います。思い悩んでいる姿もよく覚えています。

母は、私のことをどう思っていたのか、ある霊感のある方に尋ねたことがあります。「ずっと自慢の子と思っていた。愛してる。大好き」と。母が亡くなっても、私のことを見守り続けてくれていると感じます。

母がいなくなって、忘れたことは1日もありません。いつも母のことを考えています。発達障害と精神疾患で悩んだときに母がいないということは、私にとってとても辛いことです。もうすぐ命日を迎えます。大好きな母にまた会える日を楽しみに、寿命が来るまで頑張って生きていこうと思います。母の子どもで本当に良かった、と心から思います。

https://www.youtube.com/@yuichi_naomi_hattatsu


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川田 直美  障害者ドットコム株式会社スタッフ

川田 直美  障害者ドットコム株式会社スタッフ

HSP、ASD(自閉症スペクトラム)、ADHD、LD(学習障害)があり、発達障害をコンプリート。パニック障害もあり、生きづらさも感じながらも、日々楽しくいこうと考えている。今まで、花屋、ケーキ屋、カフェ、デザイン企画、オリジナル雑貨制作などいろいろな仕事を経験。自然と犬と本が大好き。

注意欠陥多動性障害(ADHD) 自閉症スペクトラム障害(ASD)

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